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ルターによる日々のみことば

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2021/6/21 (月) のみことば

キリストにあって義とされる

「それがきたら、義について、世の人の目を開くであろう。わたしが父のみもとに行くからである」 ヨハネ16・8、10

 このような義認は、理性とこの世から隠されているだけでなく、聖徒たちからも隠されています。それはわたしたちのうちにある思想や、ことばや、働きではなく、わたしの全く外にあり、上にあることだからです。それは、キリストが父のみもとに行かれること、すなわち、主の苦しみ、復活、昇天です。そして、このことはわたしたちが見たり、感じたりすることのできる五感の外で起こったのであり、ただ信仰によってのみ把握することができます。

 わたしたちが、わたしたちの働きや、考えによらず、わたしたちのうちには皆無の義を持ち、義人と呼ばれるということは、全くおどろくべき義認であります。その義は、完全にわたしたちの外、すなわち、キリストのうちにあり、しかも、主の恵み深いたまものによって真にわたしたちのものとされ、ちょうどわたしたち自身によって獲得され、それに値するようになったかのごとく完全にわたしたち自身のものとされるのです。わたしがなにもせず、苦しまず、考えず、感じもしないところに、わたしに義認という名称が与えられるというこの表現は、理性が決して理解することのできないものです。わたしが救われ、神に喜ばれるものとなる理由は、わたしのうちにはぜんぜんないのです。しかし、わたし自身と、すべての人々の思いと、働きと、権威から離れて、わたしは見ることはできないけれども(天の父の右に座しておられる)、キリストにすがっているのです。

 そして、信仰は、なやみのさ中にも、この義にすがり、この義の上に建てられ、この義を通して力を得ます。

ヨハネ福音書16章の講解


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