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ルターによる日々のみことば

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2017/5/24 (水) のみことば

主の栄光があらわされる

「わたしは、わたしにさせるためにお授けになったわざをなし遂げて、地上であなたの栄光をあらわしました」 ヨハネ17・4

 もしキリストの栄光があらわされなかったら、父の栄光もわたしたちに与えられることはなく、キリストとともに消えてしまったでしょう。両者は連結し、織り合わされています。父と、主キリストの栄光は区分できないひとつの栄光ですから、み子は父から栄光を受け、父はみ子により、み子にあって栄光を帰せられます。

 そしてわたしたちのかしらであるキリストが祈ってくださったように、主によりすがるわたしたちも、わたしたちにあって主に栄光が帰せられるようにと祈らなければなりません。主がこの地上であずかられたように、わたしたちもあずからなければなりません。(わたしたちは教えと生活によって主をたたえ、主の栄光をあらわしますから)、主のために、恥と、罪の宣告と、のろいと、死を受けねばなりません。それによって、わたしたちの苦しみのうちに、主のみ名ときよいみことばが迫害され、ののしられるのです。しかし、主のほまれがとどまり、みことばが保たれるために、主はわたしたちを助け出し、車の方向を変えて、世がまちがっていることをあらわし、罪にさだめて恥をみたされます。そしてわたしたちの方は最高のほまれと栄光のうちにはいるのです。このようにして、主のほまれと讃美は生き生きと輝き現われ、聖霊とキリスト者の口によって全世界にひろがります。これこそ、ご自分にさせるために父が与えられたわざであると主は言っておられます。すなわち、父のほまれをあらわすために、すべての恥と、非難と、苦しみと、死をご自分に引き寄せられたのであり、しかもこれらすべてはわたしたちのためであって、それによりわたしたちがあがなわれ、永遠の命をいただくのです。

ヨハネ福音書16−20章の説教


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