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ルターによる日々のみことば

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2018/11/11 (日) のみことば

さまざまな試錬の中の喜び

今しばらくのあいだは、さまざまな試錬で悩まねばならないかも知れないが、あなたがたは大いに喜んでいる。 第一ペテロ1・6

 ここで使徒ペテロは、キリスト者が、この世でどのような状態におかれるかを示しております。いと高き神のみ前では、彼らはやさしく愛される子らであり、天の嗣業と祝福を確信しております。ところがこの世では悲しみ、悩み、捨て去られるだけでなく、悪魔と悪しき世から多くの試錬を受けなければなりません。いったい彼らが攻撃される原因はなんでしょうか。彼らの最大の罪とは、キリストを信じ、キリストにあって神が全世界に示された言いようのない恵みを讃美し、ほまれを帰せるからなのです。すなわち、キリストのみが、わたしたちを罪と死からあがなうことができ、正しく祝福されたものとすることができることを信じるからです。また、人間の理性は、その自由意志と、その力と、そのよき働きによっては神の恵みを受ける準備をすることができず、ましてや、永遠の生命に値することはできないことを信じるからです。理性は、たとえどれほど栄光に輝く美しいものであっても、その思いと行ないのすべてを尽くしてなお神と和解することはできず、かえって神をいっそう怒らせます。なぜならそれはすべてのことを外から取りあげ、しかも、主のことばといましめに反対し、主の約束を軽蔑し、自分の考えによってなにか特別のわざを選ぶからです。さて、このように信じるとき、火が燃え上がります。世はそのよい意見と信心を受け入れず、受け入れることができません。その聖徒らしさとすべての驚嘆すべきわざは神のみ前になんの価値もないものとして罰せられ、罪に定められなければなりません。それゆえ、彼らはみことばをのべ伝え、あかしをする人を打ち、迫害し、殺し、しかも神に奉仕をしていると考えます。それゆえ、信仰は心の中で夢見るようななにかの思想ではありません。そしてそのために悩みが彼を取り巻きます。これこそ、ペテロが、「今しばらくのあいだは、さまざまな試錬で悩まねばならないかも知れないが」と言った理由です。

べテロ第一の手紙講解


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