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ルターによる日々のみことば

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2018/2/12 (月) のみことば

神の時

そこで人々はイエスを捕えようと計ったが、だれひとり手をかける者はなかった。イエスの時が、まだきていなかったからである。 ヨハネ7・30

 キリストに手をかける者はだれひとりいませんでした。だれがキリストを守っていましたか。だれが前に立って防いでいましたか。だれもいません。聖書は、「イエスの時がまだきていなかったからである」と言っています。お聞きなさい。「時」だけしかないのです。これは実に弱い貧弱な守り手です。キリストを守るために数千の軍馬と数万の歩兵が側にいたとは、言われていません。ただの「時」がキリストに与えられた唯一の武器であり、キリストと十字架をさえぎっていたすべてです。そして、その時がまだきていなかったので、それがくるまでは、敵が計画したあらゆる攻撃もむなしいのでした。

 それは、神がみ手のうちにあるすべての思いと行動を、実に正確に測り、さだめておられるので、神によってさだめられた時がくるまでは、何ひとつ起こらないからです。

 このようにして、神は世のすべてのもののために「時」をさだめられました。それぞれに完全な絶対の時をさだめられました。全世界はその時の敵で、激しく攻撃します。悪魔は小さい貧弱な砂時計に矢を射かけてきます。しかし、その攻撃は失敗します。なぜならすぺてはその時にかかっているからです。その時がきて、砂が出きってしまうまでは、悪魔も世もなにひとつできません。

 要約すれば、神によって命じられ、さだめられたことでないならば、人がどんなことを決心しても、それは起こらないか、失敗します。たとえ起こったとしても十倍もの危害を加えます。すべてはただひとつ時にかかっています。わたしたちの計画が物事をなすのでなく、神がその時をさだめなければなりません。

ヨハネ福音書6−8章の講解


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