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ルターによる日々のみことば

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2018/2/24 (土) のみことば

与えられた信仰の量り

わたしは、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりびとりに言う。思うべき限度を越えて思いあがることなく、むしろ、神が各自に分け与えられた信仰の量りにしたがって、慎み深く思うべきである。 ローマ12・3

 神は、偉大な聖徒によってはなされないことを、小さな聖徒を用いてなされることが、しばしば、あります。キリストは十二才の時、母マリヤの目からすがたをかくされ、捜し回らせられました。また、イースターの朝、母や弟子たちの前に現われる前に、マグダラのマリヤに現われました。また、ご自分の母よりも、サマリヤの女や、姦淫の場でつかまった女に、よりやさしく話しかけられました。ペテロは堕落し、キリストを裏切りましたが、十字架上のどろぼうは、十分な信仰を持っておりました。

 このような不思議を通して、キリストは、聖徒たちに与える恵みの量をわたしたちが知ることがないようにしておられるということがわかります。わたしたちは、人物によってそれを判断することができません。主はおしみなくたまものを与えられますが、それは、ご自分のみこころのままにであって、わたしたち人間の考えと違っています。主はご自分についてすら、わたしを信じるものは、わたしのなしたわざよりも大きい働きをするであろうとおっしゃいました。これらすべてのことは、わたしたちがだれも、自分を他の人よりも高いとしたり、ある聖徒を他の聖徒より高く評価することがなく、与えられたたまものはそれぞれ違っていても、主の恵みのうちにあってすべての人を等しく尊敬するためです。主は、ステパノによって、ペテロによってはなされない働きをなさいました。またペテロによって、母マリヤによってはなされない働きをなさいました。このようにして、主のみが人物にかかわりなく、みこころのままにすべてをなさるのです。

 神は、偉大な聖徒に小さな信仰を、小さな聖徒に偉大な信仰を与えられることがあります。それは、だれでも他の人を、つねに、自分よりも高く尊敬しているようにさせるためです。

1525年の説教から


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