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ルターによる日々のみことば

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2018/2/27 (火) のみことば

信仰をかたく保て

信仰と正しい良心とを保ちなさい。 第一テモテ1・18

 この世における聖徒たちがまだ持っているさまざまの罪を考える時、その原因をかくされた選びとか、摂理とか、いわゆる予定説に求めるべきではありません。そのような考えは、疑い以外なにも引き起こさないからです。それは確かさでしょうか、それとも絶望でしょうか。もし選ばれているとすれば、どんなに堕落しても危害は及びません。いつも恵みのうちにあって滅びるはずはないのです。その反対に選ばれていない場合、なにものも助けになりません。このような思想は実におそろしいもので、心にこのような考えをいれるのは罪以外のなにものでもありません。福音は明確な神のみことばをわたしたちに直接さし示し、そのみことばのうちに神はみこころを啓示され、みことばを通して働き、ご自身をあらわされております。神のみことばが罪を罰し、さまざまの罪を明らかにし、わたしたちの救い主イエス・キリストをさし示していることは明白です。わたしたちはこの明白な神のみことばに照らして、自分が恵みのうちにあるかどうかを判断すべきです。

 そこで、わたしたちを義とする信仰があるところには、きよい良心がなければなりません。神に信頼する信仰と、悪しき思い、すなわち、悪い良心がいっしょにいることはまったく不可能です。神への信仰と、神への祈りは微妙なものであって、信仰の深いキリスト者が、しばしば体験するように、良心にちょっとでも傷があると、信仰と祈りを追い出してしまいます。

 反対に、信仰ときよい良心のあるところには、聖霊がたしかにやどっておられます。しかし、そのような確信も、わたしたちが良い良心をもっているからとか、価値があるからというのでなく、ただキリストのゆえに与えられるものです。それゆえ、わたしたちはキリストの約束があるから、キリストのあがないによって恵みのうちにあると確信し、まことの祈りをささげることができます。ヨハネも次のように言っております、「愛する者たちよ。もし心に責められるようなことがなければ、わたしたちは神に対して確信を持つことができる。そして、願い求めるものは、なんでもいただけるのである」。

メランヒトンとプーゲーハーゲンとの協力による、信仰者の罪に関する問題


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