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ルターによる日々のみことば

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2019/6/28 (金) のみことば

パリサイ人

パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、「神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します」。 ルカ18・11

 あらゆる戒めがここでこわされ、無に帰しています。このパリサイ人は神を否定し、隣人にたいして良いことをしていないからです。それによって、彼は滅びにはいりました。なぜなら彼は律法の一点を成就しなかったからです。もし彼が、「ああ、神よ。わたしたちはみな罪人です。このあわれな罪人も、わたしも、他のすべての人々と同じです」と言ったとしたら、彼は神の第一の戒めを成就し、神をほめたたえたことになったでしょう。そしてもし、そのあとで彼が、「ああ、神よ。わたしはこの取税人が罪人であり、悪魔のあごにくわえられているのを見ます。愛する主よ、彼を助けてやってください」と言って、彼を背負い、神のみ前に運んでゆき、彼のために神に祈ったとしたら、彼は他の戒めも成就したことになったでしょう。すなわち、それはキリスト者の愛の戒めであって、パウロも教えて言っております(ガラテヤ6・2)、「互に重荷を負い合いなさい。そうすれば、あなたがたはキリストの律法を全うするであろう」

 ところがここでパリサイ人は、自分が正しいものであると自己礼讃をするためにやってきています。彼がどのように断食し、全収入の十分の一をささげているかを述べ、彼の考えによるよいわざを、もっともはなやかに誇っているのです。その後、彼は隣人にむかって憎しみのあらんかぎりを注いでおり、もし神が彼をさばきびととされたならば、このあわれな取税人をよみの深みまでも投げこむほどでありました。すべての人が滅んで、自分だけがたたえられることを望むならば、それは邪悪な心であり、聞くにたえがたいことではないでしょうか。

 そしてこのたとえは、わたしたちにたいする警告として語られているのです。

1522年の説教から


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