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ルターによる日々のみことば

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2020/1/26 (日) のみことば

百卒長の信仰

イエスはこれを聞いて非常に感心された。 マタイ8・10

 この事件の中で、明らかに、二種類の奇跡が起こりました。いやむしろ、二重にあらわれたひとつの奇跡といったほうがよいかもしれません。一つは、主がなされた奇跡であり、他方は、百卒長のものです。聖書は、イエスご自身、百卒長がこのように強い信仰を持っていることに非常に感心されたと語っています。そして、キリストが奇跡とみなされるものは、わたしたちも奇跡とみなさなければなりません。

 キリストが、盲人の目を開き、耳しいを聞けるようにし、らい病人をきよめられたみわざを見て、人々は大きな奇跡だと思います。そして、たしかに、それらは大きな奇跡です。しかし、キリストは魂のうちに起こる奇跡を、身体に起こる奇跡よりも高く評価されます。このように、魂は身体よりも貴重なものですから、ここでキリストが非常に感心された奇跡は、たしかに、身体に起こった他のどの奇跡よりも、偉大なものです。

 こうして、ここで二種類の奇跡が起こったように、この二種類の奇跡は今日まで起こり続け、また、さばきの日が来るまで起こり続けるでしょう。キリストは毎日、奇跡を起こされ、いつまでもそうされます。そして、からだの奇跡は、キリストが地上におられた時も少なかったように、今日においても少ないのです。これらの奇跡はキリスト教会が基礎をすえられるためにのみ起こったものです。しかし、キリストが奇跡であるとして非常に感心されたしるしは今日も起こり、また、いつまでも起こり続けるでしょう。それはカペナウムでこのローマの百卒長がもった信仰です。人がこのようにすばらしく、強い信仰をもつことができるのは、たしかに奇跡であり、しかも、偉大な奇跡です。キリストは、この百卒長の信仰を、あらゆる奇跡にまさる奇跡であるかのごとく、たたえられたのです。

1535年の説教から


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