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ルターによる日々のみことば

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2020/1/28 (火) のみことば

わたしたちを見たもうキリスト

すると人々は、耳が聞えず口のきけない人を、みもとに連れてきて、手を置いてやっていただきたいとお騒いした。・・・・そこで、イエスは天を仰いでため息をつき、その人に、「エパタ」と言われた。これは、「開けよ」という意味である。 マルコ7・32、34

 キリストは、このみじめな人の舌と耳に関心をよせておられたのではありません。これは、あらゆる人の舌と耳にたいする、一般的ため息です。すなわち、アダムから、人類最後の人に至るまで、あらゆる人、すべての心と、からだと、魂にたいして、深いため息をつかれるのです。このみじめな人がなおも犯すであろう更に多くの罪にたいして、特にため息をつかれているのではありません。ここで、主イエスは全人類の肉と血を、見ておられるのです。エデンの園において、悪魔が人類をいかにしておそろしい危機におとしいれ、人類をおしにし、死とよみの火の中に投げこんだかをごらんになっているのです。

 これこそ、キリストが見ておられる情景です。そして、周囲を見回して、エデンの園のひとりの人の堕落を通して悪魔が今に至るまで働いてきた大きな悪をごらんになったのです。ただ、ふたつの耳だけをごらんになったのではなく、アダムからキリストの時代までに生まれて来た全人類、また、これからも生まれてくる全人類をごらんになりました。それゆえ、この聖書の記録は、わたしたちが自分自身を大事にするかのごとく、わたしを、あなたがたを、また、わたしたちすべてのことを気づかってくださるただひとりのかたとしてキリストを描いております。そして、キリストは、わたしたちのおかれているのと同様の罪と、はずかしめの中におはいりになり、あらゆる滅びをきたらせるおそろしい悪魔にたいして、どのようなため息をつかれるかが示されているのです。

1534年の説教から


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