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ルターによる日々のみことば

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2020/1/8 (水) のみことば

ふたつの認知法

わたしたちはその栄光を見た。 ヨハネ1・14

 見ること、聞くことには、ふたつの方法があります。ひとつは、肉体の耳と目だけによる方法で、霊は関係しません。これは、ユダヤ人がキリストを五感だけで見聞きし、ナザレから出たマリヤの息子と認めたようなものです。それは、生まれつきの物質的、肉体的な認知方法です。しかしこのような方法では、たとえ目の前にキリストを見、たえずキリストのことばを聞いているとしても、キリストを知ることはできません(キリスト者を知ることさえできません)。もうひとつの方法は霊的認知方法であって、キリスト者だけが知っているものです。これは心の中に根ざした信仰から生じてくるものであって、それにより、わたしたちがキリスト者であるならば、同じようにお互いに知り合い、認め合うのです。

 もし、キリストを知り、キリストがだれであるかを理解したいならば、この後者の認知法でキリストを見なければなりません。生まれつきの目と耳で見聞きするのでなく、みことばが啓示し、描いているキリストをうけいれるのです。おとめマリヤより生まれ、あなたのかわりに死なれ、よみがえって、万物の支配者となられたキリストを。そこでは、生まれつきの目で見るキリストの身体を見るだけでなく、キリストの死とよみがえりの力と権威を見ます。もはや、ユダヤ人がそうだと思いこんでいた、ナザレのヨセフとマリヤの子、と呼ばれずに、わたしたちの唯一のまことの救い主、万物の主と呼ばれるのです。

 キリストは生涯を苦しみのうちに歩まれることにより、この事実を成就され、さらに、死からよみがえって、新しいすがたに変わられました。それによって、天地にある万物はキリストに服従するようになり、主は主を信じるすべての人の力ある王となられ、また、彼らに反対するすべてのものを打ち破られます。

 この霊的キリスト認知法と、この世的認知法は、まったく、違っております。いまや、わたしたちの目は、信仰によって、ひとつとされ、わたしたちの理解は新しくされております。

ヨハネ福音書14章の講解


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