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ルターによる日々のみことば

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2020/3/18 (水) のみことば

激しい試錬

死の綱がわたしを取り巻き、陰府の苦しみがわたしを捕えた。わたしは悩みと悲しみにあった。その時わたしは主のみ名を呼んだ。「主よ、どうぞわたしをお救いください」と。 詩篇116・3−4

 神がわたしたちにまことの信仰を与えてくださり、それによって、主がキリストによりわたしたちに対して恵み深いということを疑わず、堅い信頼をもって歩む時、私たちはパラダイスにあります。これに反して、わたしたちが、何か悪いことをする前に、すべての事情が変わって、神がわたしたちの心を無力になるままにまかせられることがあります。そこでわたしたちの心から救い主を取り去るのが、主のみ旨ではないかと考えるほどです。その時、キリストのすがたはおおい隠され、なんの慰めも受けることができません。悪魔は主に対する最もおそろしい思いをわたしたちの心のうちに注ぎ込みます。それで、良心は、もはや主から捨てられ、わたしたちの罪によって十分に値する神の怒りだけがわたしたちに向けられているかのごとく絶望し、不安になります。なにか具体的な罪がない時でも、悪魔は罪のないところから罪をつくり出す力を持っています。そして、わたしたちの心をおびやかし、不安にし、次のような問題で苦しめます。神があなたを愛し、キリストをくださったかどうか、いったい、だれが知っているのか、と。

 これこそ、最もおそろしく激しい試錬であり、苦しみであり、神は最大の聖徒ですら、しばしば、攻撃し、試みられます。そこで神は恵みを取り去ってしまわれたのではないかと思うほどです。もはや、わたしたちの神であることを望まれず、人がどちらを向いても、怒りとおそれ以外、なにも見いだせないのです。しかし、このようなひどい試錬はかならずしもすべての人が受けるのでなく、また、体験しなければそれがどのようなものであるかわかりません。最強の魂の持ち主だけがこのような攻撃に耐えることができます。

1525年の説教から


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