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ルターによる日々のみことば

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2020/4/18 (土) のみことば

永遠に価値のある犠牲

彼は、ほかの大祭司のように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために、日々、いけにえをささげる必要はない。なぜなら、自分をささげて、一度だけ、それをされたからである。 ヘブル7・26−27

 一度だけささげられたキリストの犠牲は、永遠に有効です。わたしたちはこのことを信じますから、祝福されます。もしこの犠牲をよこにかたづける人があれば、それは神をけがすことです。キリストご自身が犠牲のそなえものであって、わたしたちを永遠に罪からきよめるために、死んでこの犠牲をささげられたのです。それゆえ、主の苦しみが終わり、ささげものが完成されるところに、主のほまれが始まります。十字架上で、主のほまれは、主のよい評判と力あるわざとともに、地におちました。そして人々は、かつて主が人々を助けられた時、それを神の力でなさったのか、それとも悪魔の力によってされたのかと疑い始めました。この瞬間、主ご自身の良心も暗くなり、死の力が主をおおいました。それゆえ、もしそれが犠牲のそなえものであるならば、主ご自身の血が取られなければなりませんでした。小羊は刺し殺されなければなりませんでした。犠牲には血が流されなければなりませんでした。しかし、キリストの苦しみはしばらくでした。最後に、キリストは祭司のことばによって叫ばれました、「わが父よ、彼らはわたしに反対してこのことをしましたがどうか彼らをゆるしてやってください」

 さて、その後でキリストのなさるみわざは何でしょうか。主は神のさばきの座にすわっておられます。全世界が主を捨て、主は滅ぼされたと思った時、主の永遠の統治は始まったのです。主はわたしたちの代わりに父の前に立たれ、わたしたちが罪に責められる時、わたしたちのためにとりなしてくださいます。さばきのことばがわたしたちを襲い、おののく良心が罪に対する神の怒りを感ずる時、キリストの犠牲以外にわたしたちに助けはありません。その反対に、この犠牲から離れて、よそを見るものは、だれも救いを見いだすことはできないのです。

ヘブル人への手紙7章の説教


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