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ルターによる日々のみことば

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2020/5/23 (土) のみことば

キリストによる祈り

あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。 ヨハネ15・7

 キリストからはなれた生活は、みじめなものです。そこにはげしい働きがあり、しかも実はみのりません。いっしょうけんめいに祈り、求め、たたいてもなにも得られません。見つかりません。なしとげられません。それは正しいとびらをたたいていないからです。それは彼らのなすことも祈ることも、信仰なしに他の仕事と同じようにしているからです。彼らにはなんの慰めも信頼もありません。神に喜ばれるとか、聞かれるという確信もないのです。そしてそれゆえにこそ彼らは決して祈らないのです。わたしがしばしば言ったことですが、祈りは信仰のみによるわざであって、キリスト者だけがすることができるからです。キリスト者は、自分に信頼して祈るのではなく、彼らが洗礼を受けた神のみ子の名に信頼して祈るのであり、このような祈りは、神に喜ばれることを確信しているからです。神はキリストのみ名によって祈るようにお命じになり、また、その祈りは答えられると約束しておられます。他の人々は自分の名によって祈りはじめ、彼らが正しく、価値あるものとなり、いさおしを得るまで、自分を準備するために長時間を要しますが、しかもこの真理を知りません。彼らにむかって、あなたの祈りが聞かれたかどうか確信していますかと聞くならば、彼らは答えるでしょう。わたしは祈りました。しかし、わたしたちの祈りが答えられるかどうかは、神のみがご存知です。しかし、今自分が何をしているかわからず、神がどのように答えてくださるかもわからないのに、いったいどんな祈りができるというのでしょうか。しかし、キリスト者は祈りから出発するのでなく、神のご命令と約束にたいする応答として祈りをはじめますから、祈りをキリストのみ名によって神へのそなえものとします。そして自分の祈ったことが決してこばまれないことを知り、どんな悩みの時にも助けを受けることを体験してゆきます。

ヨハネ福音書15章の講解


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