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ルターによる日々のみことば

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2021/1/16 (土) のみことば

主は幼な子を祝福される

彼らを抱き、手をその上において祝福された。 マルコ10・16

 キリストはなぜ、力ある人、王、または、りっぱな聖人を抱かれないのでしょうか。反対に、彼はまだなにもわからない幼な子をとり、抱かれるのです。このようにして、キリストは神の国が幼な子らのものであることを明らかにされました。主キリストは幼な子らの王であり、主であり、幼な子らの間で見いだされることを望まれているのです。キリストはこうおっしゃっているようです。もし、だれがいちばん偉いか知りたいと望むならば、わたしは告げよう。あなたがわたしに聞き従うならあなたがえらい者である。なぜなら、わたしはすべてのうちのすべてだからである。だれでもわたしを受けいれるものは、天地の造り主、父なる神を受けいれるのであり、同時に、天地をも受けいれたのである。彼は、あらゆる天上の贈り物と栄光をくださる神を受け入れたのである。

 このようにして、わたしたちが、まず、幼な子キリストを受けいれる時、それによって、天の父なる神をも受けいれるようになります。なぜなら、キリストも次のようにおっしゃっているからです。あなたがたは、必ずしも、肉体の目をもってわたしを見ない。それゆえ、あなたのまえに、わたしのかわりとなるものをおこう。だれでも、このような幼な子のひとりを、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。そして、わたしを受けいれるものは、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。

 それゆえ、キリストを見いだすために、遠くへ行ったり、あちこち捜し回ったり、天にのぼって行く必要がどうしてありましょうか。いまここに、主キリストの鏡であり、すみかである多くのキリスト者と、その子供たちがいます。彼らを見る時、キリストを見ているのです。彼らに聞く時、キリストに聞いているのです。彼らに一杯の水を与える時、キリストに与えているのです。彼らに食物を与える時、キリストに与えているのです。彼らに着せる時、キリストに着せているのです。

マタイ福音書18−24章の註解


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