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ルターによる日々のみことば

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2022/7/2 (土) のみことば

報いを求めぬ愛

あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人もするではないか。 マタイ5・46

 キリスト者は、良い慈悲深い心をもち、悪人にすらいつくしみを示さねばなりません。善人や友人に慈悲深くあることはやさしいことです。人殺しでも仲間にはよく尽くしますし、異邦人も愛の行為にむくいがかえってくることを確信するかぎりは、やさしく親切な良い態度をとります。しかし、むくいが受けられない時は、その愛といつくしみの源はかれてしまいます。その時、異邦人の愛は、愛の生ける泉や井戸ではなく、砂地に注がれる水であることがわかります。しかし、もしわたしが善行をして、相手の人が悪をもってむくいるならば、わたしはこう言います、「行きなさい。わたしの心は善行にあきることはない。わたしはあなたが、あしかれと望まないし、あなたに悪をなすようにすすめもしない。わたしはあなたを非難する。しかし、あなたが心にとめないならば行きなさい。もし市長や裁判官があなたを罰しないならば、あなたは天にあなたを罰するかたを見いだすであろう。主はなおも多くの悪魔と、多くの悪漢を地上に持っておられるし、多くの水と、火と、木と、石と、わざわいと、悪疫を持っておられるから、あなたを十分に罰することができる。わたしはあなたの罪が罰せられずにはおかないことを知っているから、いつでも相談する準備のできたやさしい愛の心を持っている」。これこそ、異邦人の持っていないキリスト者の心であり、キリスト者の愛であります。

 キリスト者は、たとえ彼の愛が水のように砂に注ぎこまれても、かれることのない、また、つきることのない井戸を持っていなければなりません。

三位一体後第四主日の説教


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