「彼らはあなたのものでありましたが、わたしに下さいました。そして、彼らはあなたの言葉を守りました」 ヨハネ17・6
この地上に、人の従うべき教会があるかどうかについて議論する余地はぜんぜんありません。戦いは、どれがまことの教会かどうかを決定しなければならないときにはじまります。それを人間のことばと理解によって判断しようとするかぎり、この争論に結着をつけることもできませんし、まことの教会を見いだすこともできません。しかし、わたしたちの主キリストご自身が教会についてどのようにおっしゃり、どのような教会の姿を示しておられるかを見るとき、この問題に確かに近づくことができます。
ここでキリストは教会を、キリストを愛し、そのみことばを守る小さな群れであると定義し、そう表現しておられます。(このようにして、キリストの愛は知られ、感じられるからです)。「わたしのことばがとどまり、守られなければならない。そうでなければ教会は存在しない」と主はおっしゃいます。キリストのことばが、ここでは、まことの教会を知り、見いだすための規準となり試金石となっております。また、それによって教会はその進路を決定します。教会が宣教し、行動するために、規則と秩序が必要なのです。だれも自分の好みに合わせて、語り、行動しながら、実は教会が聖霊によって語り、行動したのだと主張する権利はありません。
それゆえにこそ、キリストは教会をみことばに結びつけられたのです。また、教会にみことばを与え、それによって、教会がみことばを持ち、みことばに従って教えと宣教をなし、キリストの愛のためにすべてをなすかどうかを、吟味し、調査するためのしるしとされたのでした。
聖霊降臨主日の説教